3月11日午後2時46分に発生した大地震(M9.0)から、10日余り経ちました。
今回の地震、津波で亡くなられた方、被災し避難されている方には、心よりお悔みとお見舞いを申し上げます。
報道される度に増える犠牲者数、被害の甚大さに、胸が締め付けられる思いがします。
Twitterでは、幾度か呟いたものの、今までは自分の中での振り返りや総括ができなかったため、
こちらに記載することがありませんでしたが、自分の身の回りでは落ち着きを取り戻しつつあるので、
地震当日から振り返ってみようと思います。
地震発生当初、職場での揺れはゆったりとしたものでした。
『東北がスゴイ揺れているみたい』
『結構大きいねぇ』
などと、話ができるくらいで、割と余裕があったのを覚えています。
しかし、その後段々と大きくなる揺れと地響きのような音に、『これはヤバい』と皆が感じ始め、
誰かの『外に出ろ!』の一言をきっかけに一斉に避難を始めました。
地震の揺れは、大体1分程度。
そんな風に思っていたけれど、2分経っても、3分経っても揺れが収まらない。
建物もギシギシと悲鳴を上げ、今にも倒壊するのではと思うほど。
職場の年配の女性の中には、腰が抜けてしまった人もいて。
生まれて初めて、地震で恐怖を感じました。
日本が終わるのでは・・・。そんなことも一瞬頭を過りました。
東京の多摩地区は震度5強。
揺れが長かったとは言え、あれで震度5強とは・・・。
東北太平洋沿岸では、一体どれほど揺れたのでしょう。
本震が収まり、職場の安全確認が行われた後、帰宅可能な者は自宅へ帰るようにとの指示が出ました。
私は自転車で通勤しているため、早めに自宅へ帰ることができましたが、帰ってみると自宅もひどい有様。
家具の倒壊こそなかったものの、ラックや棚からDVDや書籍が落ちて散乱し、冷蔵庫も20cmほど動いていました。


相次ぐ余震と、続々と伝えられる被害状況、そして都内の帰宅困難者に関する情報の確認で、
結局その日は一睡もしないまま朝を迎えました。
直接被害に遭ったわけではありませんが、2011年3月11日は一生記憶に残るであろう1日となりました。
間もなく震災から2週間が経とうとしていますが、原発被災を皮切りとした放射能問題、電力問題、流通の問題、
危機管理体制問題など、二次的な問題がクローズアップされ、混乱が終息する気配はなかなか見えません。
それぞれに言いたいことは勿論山ほどあります。
それはまた別に書きたいと思いますが、報道や周囲を見るにあたり、自分さえ良ければいい(言い過ぎかもしれませんが)という
考えで行動している方が多くいるように個人的には思います。
直接被災していない我々は、報道される内容への過敏な反応や、デマに踊らされることなく、普段通りの生活を出来うる限り送る。
これこそが、被災地の復興、支援への一番の近道となるのではないでしょうか。
これだけの被害が出ている中、日常生活が送ることができているのは凄いことです。
それは多くの人々の献身的な努力によって支えられているもの。その努力が無駄なものにならないよう、
我々もこの難関に立ち向かっていきましょう。
日本に明るい未来が訪れんことを祈って。